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2001年7月14日生血液型:O型星座:かに座身長:161cm>>プロフィールへ
コメント(1063)
久保さんがひとりで抱え込むには余りに大きな事柄。
言の葉にして表すことで久保さんの心の澱が晴れるのなら、
躊躇いなく言の葉にしてください。
そのことを気にすることはありません。
それが、私達ファンの望みなのですから。
意思で
行動で
その心に持つ、
その当時の想いを
伝え続けてくださいね。
俺もこの状況明けたら
10年ぶりに福島訪れようかな。
一度ボランティアで訪れた場所が
今、どうなっているのか確認しなきゃ。
河北新報のインタビュー記事を読ませていただきました
当時被災した皆さんにとってこの10年間はどのようなものだったのか?簡単にわかるなんて言えないけれど、少しでも皆さんに寄り添って、今日この日だけでなく日常の中でも思いを馳せ乍ら生きていかなければならない、そう感じさせていただきました
震災の年の夏、宮城を訪れ、津波が襲った海岸の光景を目の当たりにして自然の恐ろしさに言葉を失いました
翌年の春、福島を訪れ、咲き誇る桜を見て自然の美しさに涙しました
来年の春、コロナが収まって再び東北地方の桜を見に行ける事を願っています
しーちゃん ブログありがとう
しおりちゃんの気持ちきっと届いてるよ
努力して前に進んでいくしおりちゃんを見て
元気もらえるし笑顔になれるし頑張ろう!って思えてるよ
ほんまにいつもありがとう。
乃木坂46に入ってくれてありがとう
いつも笑顔でいてくれてありがとう
僕はしおりちゃんに何もしてあげれへんけど
いつも応援してるからね!
無理しすぎたらあかんで しおりちゃんのペースでいいからね
いつもありがとう!!
震災に関する取材の記事、読みました。
1年間浪人し、この春大学に進学します。僕は東北地方出身ではありませんが、すでに大学に進学している友人の中には、東北へ進学した友達もいます。震災の被害を経験していない僕にとって、10年経っても今なお爪痕残る様子を直接、友人を通して知り、半ば世間では忘れられさえある地震の被害が今なお日常生活を妨げている事実は、驚き以外では表現できません。
久保ちゃんのように震災の記憶を持ちながら、できることをしている同年代の人間が沢山いることを尊敬するのと同時に、ニュースで様子は知っていても、特に被害を受けずいつも通りの日々を送ってきた当時の自分には大きな意識や覚悟の差がある事をこの歳になって痛感します。
同年代の私たちよりはるかに色々なことに日々挑戦し、苦心し、乃木坂ファンのためにいつも喜びを届けてくれながら、それでも久保ちゃんが自責の念をもっていることに、何もしてこなかった時分は恥ずかしさすら感じます。何もして来れなかった分、何も知らなかった分、僕も大学に進学して自分を自立心を持ち、頑張りたいと思います。
尊敬しています。これからも応援しています。
決して風化させてはいけないこの日。
この日以降さらに災害というものを身近に感じた気がします。
応援しています
こうやって命を繋いだ人が発信していくこと、本当に大切だと思うよ。自分は久保ちゃんの1歳年下で、当時は習っていたバスケに行く車の中で知りました。同い年の人たちが懸命に避難していましたが、まだ小学2年生だった自分は何が起こってるのか分かりませんでした。だけど今振り返ると、素晴らしいと思えるほど復興してきた東北に涙が出ます。自分も宮崎でいつ巨大地震が起こるかわからないけど、いつ来ても絶対命を繋ぎます。
久保ちゃんの東北での活動、これからも楽しみにしているよ。
その当時自分も東北地方にいて、直接的な被害は
なかったものの、大きな不安を抱いたのをいまでも覚えています。
年月はどんどんと過ぎていきますが、1年の中でもその日だけは大切な人のことを考えて生活しようと思いました。
史緒里さんの思いはとてもたくさんの人に伝わっていると思います。
今を大切に生きることこそ、自分たちができる最大限のことだと強く思いました。
本当にありがとうございます。
天災により突然、大切な人を失う悲しみ。
大切な街を、故郷を奪われる虚しさ。
災害が去った後もなお、その爪痕に恐怖し、不安に怯える心許なさ。
そして、戻せない時の残酷さ。
それらは、当時東京に居た僕には、
テレビに映る光景から、人伝に聞く話からでしか知ることのないもの。想像するしか知り得ないもの。いいえ、僕の想像では到底分かり得ないものです。
今も、災害を、時代を、経験を、この体で、この頭で、この心で理解できることはありません。
ただ10年の時の中で、僕は学び、接し、趣き、愛して…それら全てが、想像を絶する全てが、「現実に起こったことである」と漸く理解できました。それは決して遠い過去に起こったことではありません。それは決して遠い場所で起こったことではありません。
僕は、大学で再生可能エネルギーや福島第一原発事故についての講義を積極的に受けました。祖父は成人を迎えた僕に、当時、録画しておいたという、震災に襲われる東北の街を撮影したテレビ番組を見せました。去年、宮城県を訪れた際には、石巻市の石ノ森章太郎萬画館にて、被災した直後の写真と現在の写真が展示されているのを見ました。10年前、想像さえし得なかった僕は、何もかも知らなかった僕は、東北に訪れた恐怖、絶望、悲嘆、被害、そして復興が現実のものであるとやっと思い知ったんです。
大きなきっかけを与えてくれたのは
乃木坂46 3期生 久保史緒里さん。
宮城県出身の、久保史緒里さんとの出会いでした。
あなたが故郷を想い、愛し、活動をしていること。伝わっています。それが、大きな意味を持つこと。特に、東北に住われている方々にとって、温かく強い光となること。これからも僕は、あなたを応援することを通じて、その希望を見守っていたいです。そして、その希望が、史緒里ちゃんの大切な場所へと、唯一無二の故郷へと、多くの方々に届くことを祈っています。
最後になりますが私からも
犠牲になられた方々の御冥福をお祈りしますとともに
被災された方々にお見舞い申し上げます。
あれから10年今年で立ちますが
自分は当時と変わらない千葉に10年間も住み続けられています幸いにも被害あったものの今はほとんど元通りになり良かったですが
東北地方はまだまだ完全の復興はまだまだ先だと思いますそれに去年今年はコロナ渦ということもあり復興などもうまくいかないてんなどもあるかと思いますがコロナ渦も開けて震災復興が終わり
元通りになれるように願っています。
自分たちの経験のしたことのない大地震はいつまたおきるかはわかりませんなので備えをしとこうと思います。久保史緒里ちゃんも乃木坂46頑張ってください
私も、同じようにそのような年齢になりました。
今、自分が東北に対してできることはとても限られていると思います。
しかし、あの大震災を心に刻み、風化させないように そして次いつかは必ず起こりうる大災害の対策に少しでも活かせるようにこの状況で自分ができることを模索して、行動に移そうと思います。
最後に東日本大地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にこころよりお見舞い申し上げます
亡くなられ方のご冥福を祈る事しかできません。 ごめんなさい。
あれからもう10年、もうそんなに時が経ってしまったんだと、時間の流れるスピードの速さに驚きが隠せません。
当時は中学生だった自分は今は社会人
色んな思いの中、毎年ブログ本当にありがとうございます。
自分は毎日家族でご飯食べたり出来ている事が
当たり前と考えず、一生懸命生きていこうと思います。
辛いと思うのに、史緒里ちゃん
本当にありがとう
今の自分が居ることに感謝。
東方思う気持ち非常に伝わってきます
これからも変わらず頑張って下さい
久保史緒里さん
生かされた僕らは絶対に忘れちゃダメだし、この事実をしっかりと未来に引き継がなきゃいけないと思います。
同じ東北生まれとして自分なりに自分が出来ることをやるしかないと感じております。
共に頑張りましょう。
皆の想いは一つです。
ありがとうございました。
私の地元は岩手です。
私の地区でも死者行方意不明者が数人居ました。
隣の隣の家の方は10年経った今でも行方意不明です。
当時小学4年生だった私、5時間目?の社会の授業中
テスト返却の最中に地震が起きました。
親が迎えに来るのを待ち家に帰ると、これから大きな津波が来るというラジオで繰り返される言葉、鳴り響く防災無線
家の目の前は海(ほぼがけなため津波は来ません)漁師をしている爺ちゃんは地震が来た直後海へ行き船を出して沖に行こうとしますが断念(きっとここで言ってたらもしかしたらもう会えていなかったのかもしれません。)
迎えに来てくれた母も数時間前まで海に居たようで、もう少し地震が来るのが早ければもう少し両親が海から帰ってくるのが遅ければ今頃両親はいなかったのかもしれない
そう考えると今私が家族が生きていることは奇跡だと感じます。
当時のことは場面場面でしか覚えていません、私の家は水も出ていましたし車から電気を繋いで何とか明かりもついていました、ガスコンロだったためご飯も食べれました。薪ストーブだったため部屋も温かくみんなでリビングで布団を強いて雑魚寝をしました。あの頃は小さくて何が起きているのかさっぱりわかっていなかかったため、家族みんなでひとつの部屋で寝ることが遠足みたいで楽しかったという記憶がとても強いです。
でも中学高校になると学校の授業で津波の動画を見ることも何度があり見る度にどんどん色々と考えるようになり今では津波の映像を見ると具合が悪くなり泣いてしまいます。なので今日はテレビを付けないで生活しています。
人によってあの日の記憶は違うけれどもあの日のことは絶対に忘れてはならない。それはあの日被害にあった人のためにもこれからもし何かが起きた時のためにも私達は覚えておかなきゃ行けないと思うんです。
私もあまり触れずに生きてきました、言ってはいけないような気がして。
あの日のことを話してくれてありがとうございます
きっと久保ちゃんのブログ、モバメを見た人はあの日のことについて更に知れたし、経験した人はあの日のことを思い出せたり自分だけじゃないって思えたと思います
いつもいつもありがとうございます
これからも頑張ってください!応援しています!大好きです
まだ4歳だったから当時は全くわからなかったけど今こうしてものの理解ができるようになると改めて被災された方々の悲しみ、苦しみが伝わってきます。
当たり前の日々ではないので1日1日生きてることに感謝して生きてこう。
久保ちゃんも体壊さずに頑張ってね。
色々な辛さを知っているのが久保ちゃんの強さの一つでもあるし、辛いと思うけどこうして文字や言葉にして伝えくださるおかげで当日小1だった自分にも地震の怖さや、被害を受けた人の辛さ、大変さを知ることができ全然に風化させてはいけないと思うことができます。ありがとう
これからも応援してます!久保ちゃんは久保ちゃんらしく自信持って頑張ってね!
大好き!
もはや乃木坂46の中心メンバーと言ってよいほど成長されて、連日のようにメディアでお見掛けする史緒里ちゃんを拝見し、とっても頼もしく感じています。立派になられましたね。同じ宮城出身者としてとても誇らしいです。
今回は東日本大震災のことを書いてくださってありがとうございます。おじさんも当時仙台で働いていて、被災者でした。自宅は八木山方面だったので津波の被害は受けませんでしたが、家や家財には種々の被害がありました。ガスがでなくて1か月お風呂に入れませんでしたね。
津波被害が大きかった国道45号線は長い間不通でしたが、開通後に仙台から塩釜まで走った際、福田町を過ぎたあたりから、片側2車線のまるまる1車線をふさいで、津波にのまれた自動車の残骸が延々と続いている様を見て、運転しながら涙が止まらなかった記憶があります。
これまで史緒里ちゃんはあまり東日本大震災についてあまり触れなかったのを意外に感じていましたが、今回のブログを拝見して理由が理解できました。
史緒里ちゃんの思いを伝えていただくのはとてもありがたいですが、あまり自分だけで重荷を担おうとはなさらないでくださいね。あの当時、被災地にいたすべての人は、みなそれぞれの重くるしい思いを抱えていることと思います。史緒里ちゃんが乃木坂で存分に活躍してくれるだけで、私たちファンは救われ、そんな重苦しさも忘れることができます。これからもご自分の才能を開花させ、自らが信じる道を進んでいかれることを心から願っていま。
河北新報の横川さんとの対談を読みました。史緒里さんが10年間抱えていた思いを知り、その上であの日の出来事を語り継いでいく覚悟を決めたことを感じました。
震災当時、日本にいたわけではない自分がこの日を悼み、コメントすることに躊躇いもありました。「偽善ではないのか」と自分に問いかけることも、、しかしあの対談を読んで勇気を貰うことができました。同い年として本当に尊敬しています。
今ある奇跡を大切に、1日でも早い復興を。
Be the light.
気持ちは同じ
ワタクシの宮城は2011年5月に行った時から
なにも更新されずにあの日のままです
行きたいけど今は行けない
もうすぐ黙祷の時間
多くの人が
想いを同じに
まだ東北は苦しんでいる
私はめっちゃ元気してます✩.*˚
無理しすぎないでこれからも頑張ってね
陰ながら応援してます。
しおりちゃんの思いはきっと
伝わってるはずだよ!
僕もできることをしたいと思います。
地元や乃木坂に対する思いはこれからの力になると思うのでこれこらも大事にしていってください!
初めてのモバメを久保ちゃんでとりました楽しみにしてます!
これからも応援してます
総合の時間が2時45分に終わった直後でした。トイレに行こうとしたら突然大きな揺れに襲われ、本当に恐怖に陥りました。
僕は関東住みでした。東北の揺れは関東と比べたら規模が違いすぎると思います。10年。絶対に忘れてはいけない出来事です。
東日本大震災により、犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に
心よりお見舞い申し上げます。
サンドや結弦くん、そしてしーちゃんからどれだけ勇気を貰えているか。
私にとっては地元の星なんです。
地元が、東北が好きと言ってもらえる事、とっても嬉しいの!
一緒に頑張りましょう!
この言葉のチカラ。
それだけではどうしようもない想いもあるけれど、
やっぱり一緒に頑張ってくれている想いは伝わるから声にしてくれると嬉しいです(^^)
blogありがとね!
そして、犠牲になられた方のご冥福と、被災された方の幸せをお祈りします。
これからもこの出来事が忘れられないように語り継ぐために必要なことだと思います。応援しています!!
あの時はお母さんの友達の家に泊めてもらっていたのですがその日の夜にお父さんが迎えに来てくれて、近所のおばあさんがおにぎりをくれたり、おじぃちゃんおばぁちゃんが心配して来てくれたり…本当に感謝でいっぱいです。
ご自身の辛かった経験を伝えてくださり
ありがとうございます。
史緒里さんの行動、想いが
きっと誰かを助け元気付けていると思います。
改めましてありがとうございます。
体調にはお気をつけて。
10年前のこの日、私は授業間の休憩時間であり、地震が来た時は、物凄い恐怖に襲われました。翌日、電気が復旧し、TVを見た際、太平洋沿岸地域の建物などが津波で押し流されていく光景を目にし、強い衝撃と悲しみを感じました。
10年たった今でも、あの時のことは鮮明に覚えています。震災により多くの方が犠牲になりました。この事実を語り継いでいきたいと考えている中で、私自身、東北出身者ではありますが、日本海側の県の住まいなので、東日本大震災の事を語ってもいいのかと考えていました。しかし、今回のブログを拝見し、東日本大震災のように地震や津波により多くの犠牲者を出さない為には、あの日のことをできるだけ語り継いで行く事が大切だと改めて考えさせられました。私も少しでも力になっていきたいです。
私は58歳のおじさんです。
私もあの日のことはちがう意味で忘れることはないでしょう。
震災前日の3月10日に父が急死しました。
心臓発作でした。
母から家に電話をかけても繋がらないと入院先の病院から電話が入ったのが夕方。
それから家に向かいましたがすでに息を引き取っていました。
翌日お通夜の準備をしていたら、身体が揺れる感覚に襲われました。
私は一晩中寝ていなかったため!疲れているのかと思ったら学校から帰ってきた息子に東北で大きな地震があったとの報告を受けました。
テレビを付けたらあの光景。。
忘れることは絶対にないでしょう。
息子はこの四月から教師になります。
父が亡くなって早十年。
まだ昨日のことのように覚えています。
いや、忘れてはいけないことです。
久保さんの思いはみんなに届いてます。
これからも、応援してます。
乱文ですみませんでした。
大阪のおじさんより。
自分も小学2年生だった頃、帰りの会をしている途中でした。
いつものような地震だと思っていたのは束の間、だんだんと地震
は強くなっていきました。
家に帰ると東北の方がすごいことになっているとニュースを見て知りました。父親や祖母に電話をしても繋がらない。当時はすごく不安におし倒れそうでした。でも、被災地の方をニュースで見ながら自分は何かできないかと思い、少しながらお金や自分が使っていたオモチャなどを寄付しました。復興に向かって取り組んではや10年が経ち、これからも忘れずに生きていかなければと思いました。
機会があれば宮城など東北地方に行きたいと思いました。
そして、これからも乃木坂46を応援したいと思います。
(文が変になりました。すみません。)
私たちもあの日を忘れないように3.11には毎年黙祷とYahooでの寄付をしています。
小さなことも積み重ねることが大きなことに繋がると思います。
ご冥福を祈ると共に1日でも早い復興を願っています。
ブログ更新ありがとう!
今日で3.11から10年だね。
うちも当時久保ちゃんと同じで9歳だったよ!
その時は学校にいて机の下に隠れたよ。
本当はその日に保護者会が行われる予定だったけど中止になったんだよね〜校庭に避難して怖かったの覚えてる!
久保ちゃんの思い伝わってるよ!
これからも応援してるよ!
次の更新も待ってるね〜
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